False Island

エピローグ


 それは一つの終わり。
 世界の終わりとかそんな大層なものではなくて、一つの節目。
 誰にでもやってくる、人生の分岐点。

 それは一つの島の物語。
 島に一つの節目が来た。
 何てことはない、ただ、これまでの数十日間が全て無に帰してしまっただけのこと。

 ある者は途方に暮れつつもそこに残った。
 ある者は阿呆らしいと元の場所に帰っていった。

 そして――


「お父さんのところに帰るんだ」
「はい。それが一番かなと思って」
 島の玄関口とも言える小さな波止場。桟橋の先にはそれなりの大きさの客船が止まっている。
 背が高い青年と、まだ幼さが抜けない若い娘が二人、差し向かいに立って親しげに言葉を交わす。
 見送る者と見送られる者。今日は島から船が出る日だった。
港では二人のような人々が見受けられる。
 娘のほうは肩に鞄を下げ、足元にもう一つ大きな鞄を置いている。それに対して青年は身軽な格好だが、金髪が埃をかぶっているのは、店の後片付けもそこそこにやってきたからだろう。彼はこの島唯一のコンビニエンスストアの店長だった。
「壱哉さん寂しがりやだからね。きっと待ってるよ」
 父の名前に娘がはにかむ。待ちくたびれているはずの父親は、諸手を挙げて娘の帰還を喜ぶのだろう。想像に容易い。
「でも意外だったな。零さん、好きな人いるんでしょ? その人のところに行くと思ってた」
 好きな人、という言葉に零と呼ばれた娘は赤面し、俯く。しばしの沈黙の後、どうしてそれを知っているのかと言いたげに上目遣いで青年を見る。
 青年は困ったように頭をかいた。彼女を見ていれば一目瞭然なのだが、本人にはその自覚がなかったらしい。クリスマスやバレンタインに、そわそわしながらラッピング用品を買いに来たのはどこの誰だっただろうか。
 零は頬を染めたまま、もじもじと答える。
「それも考えました。ザッハくんたちのご主人様がそっちの道も示してくれたんです。私も一緒に帰るようにって」
 ザッハというのは、青年も仲良くしていた黒い魔法のぬいぐるみ
だ。ぬいぐるみは異世界から“扉”を通じてこの島に来ていたと聞いていた。“扉”の向こうにはザッハの主がいて、その主は零の想い人とも懇意であるらしい。
「たしかにご主人様のところに行けばすぐにあの人に会えるかもしれない。だけど、それでいいのかなって思ったんです。そんな簡単なことでいいのかな、と」
 零がこの島を訪れた目的は、初めは純粋に財宝のためだった。決して裕福とは言えない家庭環境にあった彼女は、進学費用捻出のために、この島に眠るという宝を求めていた。
 けれど、大学に合格し、奨学金を得られるようになり、更には親族からの支援を受けられるようになり、彼女には財宝を得るという目的がなくなった。
 それでも島にいたのは何のためかと言えば、それは今更口にするものでもない。
「ザッハくんにお願いして一緒に行ったら、多分後悔すると思うんです。そんな楽して幸せになったら、今まで頑張ってくれたお父さんに申し訳ないです」
 もう苦労することないよ。そんな言葉が心に浮かんだが、言ってはいけない気がした。零本人がそれを望んでいるのだ。他者が口を挟んではいけない。
「戻って、学校に行くんだね?」
「ええ。やりたい勉強があるんです。だけど、あの人のことも諦めません」
 いつになく強い口調で言い切った。
「私の国には『二兎を追う者は一兎も得ず』という諺があります。でも、追ってみてもいいんじゃないかなって。だって私たちの未来はまだまだこれからですもん。色々やってみてもいいですよね」
 青年をまっすぐに見つめて、零が微笑んだ。曇りのない晴れた笑顔だった。
 ああ、と青年は漏れそうになった呟きを飲み込む。
 こうやって正面から目を見るのは初めてだ。
「ザッハくんのご主人様からノートを貰ったんです。転送魔術の教科書みたいなの。これを身に着けたら多分会いに行けると思います」
 もちろん一朝一夕にできると思いませんけどね、と付け加えた。
 零の世界では、超常の力は存在しないと一般的に信じられているらしい。そんな世界で魔術師と学生の二足の草鞋を履くのは、どれだけの苦労を伴うのだろうか。
 青年の世界にはごく当たり前に魔術があり、一般的にも認知されていた。“無い”と言われる世界がまったく想像つかない。
「零さんは本当に――」
 ――自分から背負い込まなくてもいいのに。
 そう言いかけ、語尾を濁した。零の澄んだ瞳の置くには強い意志の光がある。
 写真撮ってもいいですか、と不意に零が言った。手持ちの鞄から携帯電話を取り出す。
 そこには赤と青の宝石が飾りになったストラップがぶら下がっていた。それが誰からの贈り物だったか、フェンネルは零の友人の兎少女から聞いたことがあった。
「それ、消えちゃうんだよね?」
「ええ、残念ながら」
 少しだけ悲しそうに零が言う。赤と青の宝石は、かつて零ではない者が持っていたこの島の宝、七つの宝玉の内の二つだった。この島の物は島外には持ち出せない。持ち出そうとすると消えてしまう。
「でも、こうすれば残りますよね」
 零が青年に携帯電話を見せてきた。小さな画面の中に、ストラップを持った彼女の親友が写っている。
「ストラップが消えても写真は消えませんから」
 いただいたお守りも撮ってあるんですよ、とキーをいじって別の画像を呼び出す。そこには青年があげた黄色い受験のお守りが写っていた。
「便利だね、その携帯電話ってやつ」
「この島で使えたのには驚きましたけどね」
 船の汽笛が鳴った。そろそろ出航の時間だ。零は足元に置いた鞄を肩に担ぐ。
「こうやって見送っていただくの、二回目ですね」
 一度目は、受験のためにやむなく島を離れる時だった。しかしあの時は帰ってくることが前提だった。だけど、今度は。
「今度は本当にお別れだね」
 青年の言葉に零が首を振る。
「たくさん勉強して転送魔術を覚えます。そしたらまた会ってくれますよね?」
「そういうことは好きな人に言うものだよ」
 指摘され、零は再び赤面した。
「頑張ってね」
「はい。フェンネルさんも」
 零が手を差し出してきた。それに驚きつつも、青年ことフェンネルは手を重ねる。ひんやりとした小さな手だった。
「男の人苦手じゃなかったっけ?」
「今もドキドキしてますよ。でも、フェンネルさんにはお世話になりましたから」
 軽く握り、そして離れる。
 名残惜しげに振り返りつつ、零は船に乗り込んだ。それほど大きな客船ではない。甲板には見送りに手を振る人が並び、零が入る隙間もない。セーラー服姿の零は小さく飛び跳ねながら、フェンネルに手を振っていた。

 船が出て行く。
 青い海、白い雲。
 ひとつの終わりが来たとは思えないくらい、清々しい天気。

 島の記録は消えたけれど、人々の記憶は消えない。

「さて、店の始末に戻るかな」
 桟橋とは反対の方向に歩みつつ、フェンネルは零と握った手を見つめる。
 悲しい別れのはずなのに、不思議と笑みがこぼれる。一人の少女の成長の節目を見届けられたのだ。知っているのはきっと自分一人。それがたまらなく嬉しかった。
 最初出会った時はその怯えように大丈夫かと思ったけれど、あの子は成長するだけの強さを持っていた。
「次に会えるのを楽しみにしているよ」
 誰にともなく言ったはずなのに、応えるように遠くで汽笛が鳴った。















お世話になった全ての皆様に感謝を。

False Island
書いた人:蒼凪零(439)PL