高校生コミュ夏合宿・4時限目
遠い潮騒。
うみねこの夜鳴き。
墨一色の空。
墨一色の海。
月も星もない。
水平線を行く船灯りもない。
直黒の世界。
遠くを見通そうにも明かりがなければ何も見えず。
黒に塗りつぶされた夜の海。
昼に泳いだ水面が見えない。
夜に皆と食事を作った浜辺が見えない。
これから眠りにつくはずの丸太小屋が見えない。
光を奪われ、世界を奪われ。
ただ黒いだけ。
何も見えないだけ。
なのに、失ったはずの記憶が、今にも、
――暗い
――怖い
――寒い
――痛い
失われた自分を取り戻したい理性と、それを止める本能とがせめぎ合う。
――暗渠に落としたのはいらない子だから。
――生きていても仕方のない子だから。
――拾ったものを再利用してまた捨てる。
繰り返し耳朶を叩く声。耳鳴りのように内耳に反響する台詞。
誰の言葉であるのかも知らず。
誰か、と口に出してみる。
姿が見えなくとも声が届けばいい。
己の存在を認識してくれる誰かがいれば、それだけで救われるような気がした。
しかし助けを求める声は夜に溶けるだけ。
濃い闇にわずかな波紋を残しただけ。
――誰もお前を必要としない。
振り絞った声も虚空に消え、
――あ。
黒曜の瞳と目が合った。
「大丈夫ですか」
目の持ち主は春坂夢路。この島唯一の高校の、たったひとつしかないクラスのクラスメイトだ、真上からこちらを覗き込んでいるため、艶のある長髪が少しだけ頬にかかる。
寝間着が肌に張り付いて気持ち悪い。顎の下を撫でると汗で濡れていた。
「蒼凪さん、ちゃんと起きました? 私たちがわかりますか?」
細い指が肩をゆすっていた。春坂の肩越しに大きな古時計の文字盤が見える。零の目が開いていることを確認すると、春坂は生真面目な顔で、良し、とうなずく。
「歯軋りは禁止だよー」
からかう軽い声は式村彩。
「お水持ってこようか?」
対して不安げな声は韮川百合子。
「アヤ先生呼んだほうがいい?」
今にも泣きそうな顔をしているのは、級長の桝廉深沙希。
「暗いのが怖いなら素直に言いなさいよ」
迷惑な子ね、とそっぽを向きながら言うが、目の端では零を見ている桜庭撫子。
「眠れる? 怖くて眠れんならお話しよか」
無邪気な笑顔を向けてくる佐藤雪白。
「ウチらはここにいるで。安心してな」
そして底抜けの明るさを見せるクユリ=イヅルギ。
浜辺ではない。ここは女子用に充てられた合宿所の大部屋だった。みんなが零の周りを取り囲み、上から顔を覗き込んでいる。
「あ……ごめん……」
仰向けに寝たまま、呆然と零は謝罪を口にする。なんとなく謝らなくてはならないような気がした。
「私、何かした?」
「大音量で歯軋りしてうなされてた」隣で寝そべっている彩に軽く小突かれる。「今度やったら廊下に寝せちゃうよ」
口ではそう言うが、顔に浮かんでいるのは安堵の微笑だ。
「また変な夢でも見た?」
そう聞いてきた韮川に頷こうとしてやめ、首を横に振る。
「ううん、大丈夫。心配かけてごめんね」
クラスメイトたちの不安を解消しようとするが、顔が強張ってどうにも思うように笑えない。
「無理せんでええよ。手ぇ握ったげるから」
クユリが零の右手を握る。
「じゃ、私はこっち」
韮川が左手を握る。
「零、あんたは一人じゃないんだから。みんな一緒なんだからね」
だから安心して寝なさい、と彩が零の頭を優しく撫でてくれた。
「彩ちゃん……こんな時ばっかりお姉さんぶってる」
「泣き虫が生意気言うんじゃないの」
頭を撫でた手がそのまま零の額を攻撃する。手加減なしのデコピンに脳髄まで痺れ、零は涙を滲ませる。
「いったぁ。これじゃ目が冴えちゃうよー」
「うるさーい!」
彩は、零に頭からタオルケットをかぶせた。両手が塞がっている零は抵抗もできず、うっすらとした闇に包まれる。みんなの姿が見えなくなる。けれど不安はない。
かぶったタオルケットは太陽のにおいがする。
繋がっている手と手の温もりもまだそこにある。気配はそこにある。夜の砂漠に置いていかれたような寂しさはない。
零は二人の手を強く握り返した。
遠い空の下にいるであろう青年の背中を思い出す。
世界で一番、零を心配してくれる人。
闇に泣いた夜も隣にいてくれた人。
帰ったらその人に報告しようと思った。
この夜と、大切なクラスメイトたちのことを。
楽しかった思い出と共に。
今宵は心安らかに。
おやすみなさい。
ENo.220 韮川 百合子
ENo.272 桝廉 深沙希
ENo.650 式村 彩
ENo.872 桜庭撫子
ENo.947 クユリ=イヅルギ
ENo.1070 春坂 夢路
ENo.1801 佐藤 雪白
(ENo.順、敬称略)
(レンタル宣言非参加の方、勝手にお借りして申し訳ありません!)