タイミング的に本編の日記に使えないのでここで公開。
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いつもより神妙な声で電話してきた従姉は開口一番、こう言ったのだ。「ホワイトデーです」と。
「ホワイトデー、ですか」
『はい、ホワイトデーです』
壱哉は電話口からも聞こえるように盛大に溜息をつく。
「あのね、僕に何を期待しているんですか。十歳も年下の、しかも無職の従弟に」
『別に期待はしていない。慣例行事はきっちりこなせと言いたいだけよ』
いい年して何を言う、と思うけれど口には出さない。さすがに長い付き合いになる従姉には口では勝てないとわかっていた。
バレンタインデーの頃のことを思い返す。娘の代理でチョコをあげに行った覚えはあるが、貰った覚えはない。例年、誰かにあげたり作ったりする羽目にはなっても、貰うことは稀。それが独り身の悲しさだった。
――隼人さんところにチョコ持って行って、エレニアさんに葱チョコあげて、えーと、後は何かあったかな。
指を折る。たった二つでは折ることもなかった。
「記憶にありません」
『あげたわよ。手紙に入れて』
ああ、と思い出す。たしかに定期連絡の手紙の中に、溶けかけた板チョコが入っていた。非常食だと思い込んでいたが、従姉はバレンタインチョコのつもりだったらしい。
そのチョコがどうなったのかと言えば、自分では食べずに葱チョコの材料に成り果てた。もちろん味見はしていない。
「十和姉も図々しいよね」
あんなのでお返し貰おうだなんて。そこはやはり口にしない。
『何が』
「何でもない」
『で、お返しくれるの? くれないの?』
本当にこの従姉は何を期待しているのだろう。日本から遠く離れた遺跡島、しかも未開と言ってもいいくらい野生に溢れたここから何を贈れるというのだ。
そもそも気の利いたお返しができるような人間だったら、彼女が欲しいと嘆かない。
「帰ったらします。今はできません」
『言ったわね? 期待しとくから』
含み笑いに鳥肌が立った。これはプレゼント要求なんて生易しいものではない。三倍返しでは済まない。
昨年は彼女の家の大掃除だった。一週間かかって掃除をした。一昨年は三か月間おさんどんをした。栄養管理までやらされた。もちろん、バレンタインのお返しだから無報酬だ。
今年は何をやらされるのだろう。考えるだに恐ろしい。だけど考えないほうが身のためでもある。
『ところであんた、私の他に誰かから貰わなかったの?』
「残念なことに――あ」
半分に開いた口から間の抜けた声が漏れる。唐突に思い出した。そういえば一個だけ貰っていた。甘いお菓子が大好きな女の子から。
『心当たりあるならちゃんとお返ししなさいよ。そんな不義理な子に育てた覚えないんだから』
いつもなら「育てられた覚えもないよ」と言い返すところだが、バレンタインチョコのことで頭の中がいっぱいになる。
娘の親友からなんて義理も義理。感謝チョコ以上の気持ちはないとわかっていても、縁薄い壱哉にとってはそれなりの意味を持つ。
「真面目に返したほうがいいのかな。手作りくらいしかできないけど、あまり気合入れると勘違いしてると思われそうだな」
電話していることすら忘れ、ぶつぶつと呟く。
『あんたキモい。だからモテないんだって自覚あんの?』
ばっさりと切り捨てられ、妄想に近い夢想も砕け散る。いつの世も女性は非情で無情。現実的な生き物なのだ。
現実に引き戻された壱哉は適当に従姉をあしらうと電話を切り、
「ここでも作れるようなお菓子、あったかな……」
それでも愛用のレシピブックを広げたのであった。