遺跡に潜るその日のこと。
「では厘子さんが料理担当で」
「…はぁ?」
何言ってんだこの眼鏡。
「男女がどうのとは言いませんけど、それなりに人生経験積んできたなら、できないわけないですよね?」
薄ら笑顔の白衣の悪魔と、引きつり笑顔の私。
これがヤクザ面のヤクザ男だったら問答無用で顔面張り飛ばしているところだけど、知的な優男には手は上げられない。
体を痛めつけたらその三倍、言葉のナイフで抉られると過去の経験が私を留める。
しかしこいつ、わざわざ丁寧語使ってくるとか、自分のキャラわかってやがる。
「私はどっちかって言うと食べるほう専門で……」
「一番食べる人が作るんです。こう考えるのが自然ではないですか?」
無言ながら、悪魔の後ろでしきりに頷いているのは赤い長髪の青年だ。
ああもう、こっちを張り飛ばしてやろうか。
そう思うけれど、やたらと距離が離れているので、少し詰めないと届かない。しっかり間合いを取っているのが憎らしい。
「では決まりということで。これからよろしくお願いします」
私の両腕に、フライパンと鍋とその他雑多な調理器具を投げ込み、また後で、と去っていく。
「どうなっても知らないからね!」
去り行く二つの背中に声を投げ、舌打ちして調理器具を地面に放り出す。我ながら柄が悪い。
「おさんどんじゃねーよ」
呟いたその時。
「のう、そこの娘御、そうお主だお主」
突然声をかけられた。
そこにはちっさい小娘が一人。どのくらい小さいかと言うと、脳天が見えるくらい小さい。ポニーテールに結い上げた蜂蜜色の髪に、大きな青い瞳が活発な印象を与える。
あー、こういうのを美少女って言うんだろうな。かわいいってだけで人生楽しいんだろうな。
すっかりやさぐれた私は、ついそんなことを考えてしまう。
「……道路標識なぞ担いで一体何をする気じゃ?」
少女は怪訝な顔をしていた。
「べ、別に好きでこんなん持ってるわけじゃ」
担いでいたそれを背後に隠す。身長よりも長い、白い鉄棒。先端には赤い逆三角の板に、白抜きの「止まれ」の文字。
誰が見たって道路標識。恥ずかしいことに道路標識。
「もしや酔っ払ってそのまま拝借してきたのではあるまいな?」
言葉に詰まり、ハハハと乾いた笑いで返す。本当に何でこんなの持ってるんだろうね。
島への船に乗る前日、荷物に入れていたのは愛用の薙刀だった。それが荷物を開いてあらビックリ。一晩でこんなわけのわかんない物に変化していたのだ。
――しばらく遊べなくなるからと飲みに行ったのが間違いだったかもしれない。
恥ずかしすぎて、実家に薙刀送れとも連絡できない。新しく武器をあつらえるまではこのままだ。幸い、白衣の悪魔たちには武器職人の知り合いもいるそうなので、早い時点でこの標識を捨てられると思いたい。
「その様な酒癖の悪さでは嫁に行き遅れてしまうぞ。そもそもわしが若い頃なら――」
うわー、この小娘話なげー。しかも説教くさいし年寄りかっつーの。
そんな本音を心の中に流す。
「――お主はなんと言う名前かの?」
はっと意識が覚醒した。
半分寝ていたようで、話はすでに終わっていた。
「蒼凪厘子。リンでいいよ。よろしく」
差し出した手を、白く小さな手が握り返す。その手は柔らかかったものの、少女特有の温かみはなく、わずかに電撃のようなものが走った。