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父と子の往復書簡・60日目

時計 2008/10/24

 これまでいくつものマジックアイテムに触れてきた。古代遺産から最新技術の粋をこらした物、果ては神の手による物まで、人知を超えた物すら扱ったこともある。
 だから、その程度の物などどうということでもない。魔力を感じないのは、文明が発達していない国の産物だからだろう。
 魔導の道を修めるならば、未知の物体に触れること躊躇うな。そう理性が本能を諭す。

 学生服姿の少年――菅原が差し出してきた‘それ’の意味と、行動の意図がわからない。訝しげな目を向けると、菅原は‘それ’を耳に当てる振りをする。そして再び、今度は押し付けるように渡してきた。人差し指で自分の耳を指す。
 手の平より少し大きな物体だった。つるりとした材質だが鉱石の類ではない。木材よりももっと軽い素材でできている。薄い直方体を二つ縦に繋いだ、くの字の形をしていた。上の直方体の表面には水晶のような薄い膜がはめ込まれていて、自然や魔法とは異質な光を発している。
 形状、素材共に記憶にある如何なる道具にも合致しない。
 似たような物を持っている人間はたびたび見たが、何に使う物かは知らなかった。こうして実際に手に取ってみるのも初めてだった。
 おっかなびっくり、菅原の真似をして耳に当ててみる。
『もしもーし?』

 それがエドの携帯電話初体験だった。

続き


 通話を終えたエドは、携帯電話を菅原に投げて寄越した。少年は慌てて受け止めた。この携帯電話は自分の物ではなく、仲間の物を借りていただけだった。手の平からこぼれ落ちたストラップが宙にぶら下がって揺れる。
 それを確認する前に、エドは大股に一本の大樹のほうへ歩いて行く。
 その姿に身を強張らせる者がいた。その大樹の陰にから顔を出している、セーラー服姿の少女である。青褪めた顔に冷や汗を浮かべ、近付いてくるエドを見つめている。足腰が震えているのは、逃げ出したいところを必死に我慢しているのだろう。
 ちなみに携帯電話の本来の持ち主もこの少女である。
 逃げ出すことは我慢できても視線を合わせるのは難しいらしい。腕を伸ばせば届く距離まで来たところで、幹の後ろに顔を隠してしまった。
 エドは足を止めてその様子に溜息をつき、自分の肩からマントを外した。おもむろにそれを少女の頭からかぶせる。
 そしてしゃがみ込んで話しかけた。
 少女は男性恐怖症であったが、顔が見えなければまだまともに会話できるらしい。それを踏まえての行動であったが、傍から見れば怪しいことこの上ない。
 二人はしばらくその状態で話し込んでいたが、一区切りついたのか唐突にエドが立ち上がった。そして少女にかぶせていたマントを取り上げて再び羽織る。顔があらわになった少女は、盛んに頭を下げながらも完全に大樹の後ろに隠れてしまった。
「何を話していたんですか」
 二人があれほど長く会話していたのが珍しく、思わず菅原は聞いてしまった。
「呼吸法についてちょっとな」
「呼吸法?」
「ああ。この島の性質に合う呼吸法を教えてやったんだ」
 菅原の顔にハテナマークが浮かぶ。
「魔術には呼吸法というものがある。これはどんな類の魔術でも基礎になるんだが、理論が違えばその細部も違ってきてな。そもそも魔術というのは人間の体内を巡る回路と外界における――」
「すみません、わかりやすく簡単にお願いします」
 話が長くなると察して菅原が割り込んだ。エドは一瞬眉間に皺を寄せたが、ふむ、と頷いて腕を組んだ。
「一言で言えば、彼女がこれまで使っていた呼吸法はこの島には合わないものだったんだ。
 彼女らの言葉を借りて説明すると、この島の魔力属性は西洋魔術の四大元素と同一と思って差し支えないだろう。これは自然界は地水火風の四元素から成っているというものだな。その証拠に、私たちの手元にある四種の宝玉も地水火風に対応している。
 それに対し、彼女がこれまで行使してきた魔術は東洋の五行思想に基づいている。これは自然界を木火土金水の五元素から成るとする説だ。
 西洋魔術の理論で動いている世界の中で無理に東洋魔術を行使するとどうなるかね」
「さあ?」
 門外漢の菅原は疑問に疑問でしか返せない。そもそも、魔法と魔術の違いも良くわからない。
「属性が合わず、術者に過剰な負担が来るんだ」
「はぁ、そんなもんなんですか」
 答えを聞いても気の抜けた相槌しか出ない。
「もちろん他の世界ではこんな話はないさ。自然は皆に平等なものだからな。たかだか属性が一つ多いくらいで術を発動させないとかそんなケチなことはない」
「じゃあこの島だけが」
「そう、特別なんだ。こんなにマナが濃い場所はそうあるもんじゃない。ここまでマナが濃いと、マナに合わせて魔術を使うしかないな」
「もしかしてさっきの電話は、そういう話だったんですか? 壱哉さんが魔術の心得がある人と話したいって言ってたこと」
 壱哉、とは少女の父親である。娘の様子に異変があれば連絡が欲しい言われていたため、菅原は電話をかけたのであった。
「ああ。彼女は東洋魔術の呼吸法しか知らないから教えてくれと頼まれたんだ。私の世界と彼らの世界とでは扱っている魔術がかなり違うが、基礎的な部分は変わらないようだ。現に、私はいつも通り発動できている。この島と私の魔術理論にさほど差異がない証拠だろう」
「かなりえげつない魔法使いますよね」
 爽やかに言う菅原の額に、エドは渾身のデコピンをかました。前衛を張る鋼の肉体をもってしてもこれはかなり効いたのだろう。少年は額を押さえてうずくまってしまった。
 エドは何事もなかったように続ける。
「彼女はそれが合わないばかりに、魔術が暴走していたのだろう。戦闘で好調だったのはその辺りが原因だったようだ。呼吸法さえ変えれば、当面は問題ないはずだ」
「本当に?」
 菅原が涙目でエドを見上げる。
「我々の考えが間違っていなければな」
 その視線を無視して、エドは少女がいるはずの幹を見やる。緑色のスカートの裾が幹から覗いていた。
「後は練習と慣れの問題だ。慣れれば身体は楽になる」
「奴らは慣れるまで待ってくれそうにありませんけどね」
 額を赤く染めたまま、菅原は立ち上がる。二人の先には夢魔が二人、艶笑を浮かべて立ち塞がっていた。

「応急処置としては上出来か?」
 手の中で魔導による炎を編みつつ、エドは誰に言うでもなく呟いた。