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父と子の往復書簡・42日目

時計 2008/06/04

 青い空、やわらかな陽光。頬を撫でる風。
 久方振りの遺跡の外だ。

 遺跡の中には森があった。平原もあった。砂漠もあれば、山もある。天井を見上げればそこには何故か青い空があり、小鳥のさえずりさえ聞こえることもあった。
 どういう仕掛けなのか、遺跡の中は屋外とまったく同じ環境にしつらえてある。
 だが、どれだけ取り繕うとも地下は地下。地下特有のどことなく淀んだ空気と湿っぽさは拭えなかった。

 ここには本物の空がある。零は大きく伸びをして、胸いっぱいに新鮮な空気を吸った。
「では一旦解散。集合は――」
 パンパンと手を叩く音に振り返り、頭の中に指示をメモする。今日一日は遺跡の外で待機。補給やら買物やらとやらなければならないことは多いが、優先事項は休息だ。
 外に出る直前に遭遇した赤毛の少女は、宝玉の守護者というだけあって手強かった。こちらも島に来た頃よりは強くなっているはずなのだが、さすがに無傷とはいかなかった。明日からのためにも傷を癒し、疲れを摂らなければならない。
 さっさと用事を済ませ、部屋に戻って寝るところなのだが。
「んー……」
 それぞれ散っていく仲間の中から一人の背中を探す。
「あの、イディアさん」
 流麗な金髪の女性を追う。イディアと呼ばれた女性は、
「どうしました?」
 振り返り、華やかな笑顔で応えた。
「その、占いとか……できます?」
 顔が熱いのが自分でもわかる。俯きがちな顔を上げようとすると、どうしても上目遣いになってしまう。そんな零をイディアは優しく見詰め、
「あら。恋占い?」
 いきなり核心を突いてきた。零の心臓が跳ね上がる。瞳孔が開いて一気に体温上昇。頭の頂点から湯気が出そうだ。
「い、いえ、その……」舌がもつれてうまく回らない。「……その通り、です」
 少しでも落ち着こう、少しでも顔を冷やそうと頬に手を当てる。相手が見知った女性だからいいものの、他の人間にはこんな顔は見せられない。
「お相手はどなたかしら」
 イディアはやはり女性として先輩だ。占いなんて数え切れないほどあるのに、恋愛事と当ててきた。零が考えていることなど簡単に見透かしてしまう。占いの相手が誰かもわかっているに違いない。
「菅原?」
 だが、彼女の口から出てきたのは違う名前だった。
「え? あ、いえ、ちが」
 思いがけない名に焦りが出る。羞恥とは違うもので頭の中がかき乱される。ここで否定しないと誤解が広がるが、慌てて否定したら嘘っぽいと思われるかもしれない。
 一つ年下の少年は頼りになる仲間だけれど、そんな対象とは思ったことがなかった。
 ――出会った時にはすでに、あの人への想いが芽生えていたから。
「そんなわけありませんわね」
 麗しい面から表情が消えた。氷の女王のごとき横顔に、零の顔も凍る。
 あっさりと切って捨てたイディアはすぐに柔和な顔に戻り、「占いの前にお茶でもいかが?」と先に立って歩き出した。

続き

 しばらく後。

 携帯用のティーバスケットを傍らに、木陰でぼんやりと物思いにふける。お気に入りのお茶と、露店で買ってきたスコーンでたった一人のティータイム。どれだけここにいるのだろう。両手で抱えたカップのお茶はすっかり冷めていた。
 ――そういえば、何も知らなかったんだな。
 空は気持ち良く晴れ上がり、風は透明だ。濁りのない自然の中で、零だけはすっきりとしない気持ちでいた。占いなんて子供っぽいものに頼らなければ良かった、と後悔が滲み出る。
 占いなんて遊びのようなものだ。信じきっているわけではない。当たるも八卦、当たらぬも八卦。良い結果が出れば良し。悪い結果であれば笑い飛ばせばいいだけのことだ。
 しかし、零はあまりにも知らなすぎた。
『それで、相手の方のフルネームは? 誕生日は? 出身地は?』
 カードを切る即席占い師にそう聞かれ、言葉に詰った。

 本名は知らない。
 誕生日も正確な年齢も知らない。
 生まれも、島に来る以前のことも知らない。
 過去の話を聞いたこともない。
 連れ以外の人間関係を知らない。

 知っているのは名前と、時折見せる優しい横顔。

 今更訊けるものだろうか。いまだに正面向いて話せないのに、訊く権利などあるのだろうか。
 彼の連れの青年と少女に問えば、何か教えてくれるかもしれない。だが、あの二人は簡単に人のことを話すような人間だっただろうか。きっと本人に聞けと言ってくるだろう。
 気持ちさえあればいいというのは嘘だ。お互いのことを知り、お互いを理解し合わなければ、良い人間関係は築けない。
 仲間でも、家族でも、友人でも。
 そして恋人でも。
『告白されないんですの?』
 つい先日、大地の魔女と交わした言葉が何度も脳裏を駆け巡る。
 ――告白以前の問題だよね。
 眉間に皺を寄せ、冷め切ったお茶で喉を湿す。とっておきのファーストフラッシュだったのに、すっかり香りが飛んでしまった。
 ――何て言って聞けばいいんだろう。

 二人の仲間が彼女を見つけたのは、それから少し経った頃。
「ゼロさん? こんなところで寝ていると風邪引いちゃいますよ」
「疲れているんだろう。少し寝せてやれ」
 悩みも苦労も尽きない筈なのに、少女の寝顔はとても安らかだった。