「記録?」
やけに心地のいいソファに横になり、持ち主の背に声をかけた。
ソファの持ち主こと従兄弟の蒼凪百瀬はギラギラ光るコンピュータディスプレイに向ったまま、振り返ることなく答える。
「そ。写真を撮れば、対象の外形サイズを自動で算出してくれる。マイクをオンにしていれば音声を拾い、自動で取捨選択する。学習機能をつけたから日常的によく拾う音声、つまりリンの声や生活音は消してくれる」
「へぇー、すごいねー」
百瀬が説明してくれているのは、情報端末とかスマートフォンとかそんな類の機械だ。手の中にあるそれは私の掌よりも大きく、片手では扱えそうにない。
「携帯電話とは違うと思っておけ。一応通話はできるが、そいつで電話かけている姿はスマートじゃない」
「わかったー」
見た目は一般に出回っている物と同じ。しかし、百瀬が既製品をそのまま使うわけがない。ケースは銃弾にも耐えられそうな丈夫な素材に変えてあり、ソフトにもかなり手を入れているようだ。
タッチパネルに手を滑らせると、パスワード入力画面が現れた。ついさっき教えてもらった数字を入力すると、パソコンのようにアイコンが散らばるデスクトップ画面に変わった。もっと小難しい物かと思っていたが、これなら私でも直感的に使える。
「蓄積したデータは暗号化して逐一俺に送られるように設定してある。通信可能な場所に入れば自動送信するから、お前は何もしなくていい」
「随分と楽な仕様だね」
「負担を軽くしてやってるんだよ。お前はシャッターを切るだけでいい」
肩越しに、銀色のペンで私を指す。磨き抜かれたそれはペンシルロケットのようだった。
「とにかく、例の島の情報を集めろ。俺に送れ。それが、そいつを貸す条件だ」
「めんどくさい……けどま、それくらいやるよ。インターネットないと死ぬ」
「このジャンキーが」
「あんたに言われたかないね」
百瀬はふん、と鼻を鳴らして私を一瞥し、再びモニタに向き直る。
「でもさ、なんでそんな情報集めんの? あんたの趣味?」
試しに百瀬の背中を撮ってみた。けれど、何度やっても“error”と表示されるだけで認識できない。どうやら百瀬本人はデータ化できないようにしているらしい。
「俺はナマモノにゃ興味ねぇよ。“そんな情報”でも買う奴がいるんだ。金になるなら集めてやるさ」
得体の知れない島の得体の知れない生物。そもそもそんな情報がこの日本で役に立つのかと思わないでもないが、世の中には意外と変わった人間がいるらしい。大方、科学技術の発展のためという大義名分をつけた、金儲けの連中だろう。
もっとも、これは写真を撮っておしまいだなんて簡単な話ではない。どうしてもリスクが付きまとう。聞いた話では、その生物たちは探索者を襲ってくるらしい。命がけの収集作業になりそうだ。
「実際に集めるの私なんだけど」
「そいつ作ったの俺。いらないなら返せ」
「はいはい、やりますよ」
端末を背中に隠し、そのまま尻ポケットに入れてしまう。大きいから邪魔になるかと思えば、気になるほどの厚みでもなかった。
「ったく、少しはネット依存治ってんのかと思えば全然か」
「たった半年、世間から隔離されただけで治るか」
「半年もありゃ充分だと思うけどよ」
病気の根は深いのだ。
「じゃ、これは借りていくよ」
「おう。よろしく頼むわ」
やはり後ろ向きで、百瀬は左手だけ上げる。片側だけのヘッドセットをつけて、右手は忙しなくキーボードを叩いているけれど、何をしているのかさっぱり検討がつかない。百瀬には百瀬の仕事があり、世界がある。それは市井でも蒼凪でもない、彼が作り上げたものだ。
“どちらでもない”百瀬と、半端に“どちらでもある”私。こうやって会話はできるけれど、どこか相容れない。違和感は拭えない。
同じ世界に行こうとは思わないものの、私はそんな百瀬が少しだけ羨ましい。本人には絶対言えないが。
「ああ、ちょっと待て」と、呼び止められた。「この件は他の連中には秘密な」
「OK」
「生きて帰ってこいよ」
「ありがと」
「必ずそいつ持って帰ってくるんだぞ」
「……ありがと」
守銭奴の背中に中指立てて、私は鋼鉄の扉を開ける。
再度ここを訪れるのは、数ヵ月後か半年後か。しかしどれほど間が開こうとも、ここの空気が懐かしくなることはないだろう。
私が帰るところはここじゃない。
ここは百瀬というたった一人の王様の城だから。