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父と子の往復書簡・43日目

時計 2008/06/12

 ――刻まれた印は何の為?


 伸べた両掌は空。かつてそこに手を重ね合わせてくれた存在はない。二つの名を呟くが、辺りの空気はさざめくことなく静寂を守る。
 本当に、ひとり。
 羽織っている薄衣の前を合わせて顔を埋める。精霊の力で浄められた衣からは、柔らかな波動が感じ取れる。作ってくれた人の真摯な想いが伝わってくる。
 本当はひとりじゃない?

「お父さん、どうしてるかな」



「ふぇっくしょい!」
「……おっさんくさい」
「十和姉、五月蝿いです」

続き


 ――島ではない何処か。

 夕餉も終わり、後片付けも済ませ、鼻歌交じりに意気揚々とリビングに戻った壱哉を待ち構えていたのは、
「先にやってる」
 勝手に酒瓶とグラスを出してくつろぐ十和子の姿だった。
「楽しそうですね、飲んだくれのお姉さん」
「社会人はお疲れなのだよ、無職君」
 不敵に笑う十和子は、オールドファッションのグラスを差し出してくる。すっかり中身を干していて、半ば溶けた氷だけがある。新しく作れ、ということだ。
 壱哉は素直にスコッチのロックをダブルで作る。そして自分用にコーヒーを淹れた。
「相変わらずの下戸か」
「仕方ないでしょう。身体に合わないんだから」
 なのに何故酒とグラスがあるのかというと、これはもちろん十和子が勝手に持ち込んだ品である。
「酒も煙草も博打やらない。家事もできる。……なんでアンタは女じゃないかな。嫁の貰い手ならいくらでもいるんじゃないの」
「はいはい、甲斐性なくてすみませんね」
 いい加減酔いが回っているらしい従姉を適当にあしらいつつ、壱哉コーヒーを啜る。滅多に使わないテレビの電源が入っていた。零と二人だけの時はテレビは見ない。学校のこと、仕事のこと、将来のこと、と二人の会話はどこまでも尽きないからだ。テレビを見ている時間が無駄に思えるくらい、話題は次々と出てくる。
 小さなブラウン管テレビでは外国の映画をやっていた。孤島に取り残された男女のサバイバルアクションだった。日に焼けた女性がモリで魚を獲っている。その逞しい姿にわずかに不安を抱く。娘もああなってはいないかと思うと気が気ではない。
 自分よりも腕が太くなっていたらどうしよう。自分よりも色が黒くなっていたらどうしよう。自分よりも力が強くなっていたらどうしよう。
 何より、あの優しい笑顔に野生が光るなんて考えたくもない。
「あー! やっぱり行かせるんじゃなかったー!」
 突然叫びだした壱哉に驚き、十和子はスコッチを吹いた。
「……その挙動不審治さないと嫁は無理ね」