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父と子の往復書簡・30日目

時計 2007/12/29

 島の港は小さい。便宜上港と呼ばれているが、実際は辺鄙な漁村のそれとそう変わらない。粗末な桟橋が突き出ているだけの入江は狭く、小型のフェリーがやっと入れるかどうかというくらいだ。
 それでも島への出入りにはこの港を使うしかない。外部から島への唯一の玄関口なのだ。これまで多くの招待客がここから上陸し、そして去って行った。
 今日もまた船が出る。荷物を抱えた乗客らが港に集まっていた。彼らは島を出る一団だ。やむを得ない理由で遺跡探索を断念した招待客だった。そこらで仲間たちと別れを惜しむ声が聞こえる。
 零もその島を去る一群の中にいた。だが、彼女は他の乗客達とは違った。大学の入学試験のために一時帰国するだけだ。それが一段落したらまた島に戻ってくるつもりでいた。
「私の代わりの人が来るはずなので、よろしくお願いします」
 零は頭を下げた。相手は同じ年頃の少年だ。彼は縁日によくあるようなお面を頭の後ろにつけていた。しんみりと周囲とは変わり、有名なヒーローの顔のお面だけはにこやかに笑っていた。
「あの、こんな大事な時に穴を空けちゃって、本当にごめんなさい」
「代理の人も来ることですし、こちらは心配しなくていいですよ」
 零と少年の距離は約三メートル。これが男性恐怖症の彼女の精一杯だった。
「ところで代理の人ってどんな人?」
「十和子さんというOLさんか、メイちゃんという兎の女の子です。二人とも私よりずっと頼りになりますから」
 まだ来てないみたいだけど、と零は少しだけ顔を曇らせる。島を離れるにあたり、それだけが気掛かりだった。
「出発の時間でーす」
 二人の会話を船員の声が遮った。
「時間、ですね」
 足元に置いた荷物を抱え上げる。
「陽奈さんやエドさんたちにもよろしくお伝えください」
 言って再び頭を下げた零に、少年は手を差し出した。わけがわからず零はその手を見つめていたが、意味するところを汲むと、小さな声で「ごめんなさい」と言った。
「まだ無理ですか」
 少年は苦笑する。零は実に申し訳なさそうに謝り倒す。近くで話すのもやっとなのに、握手はハードルが高すぎた。
「まあ、この問題は帰ってきてから追い追いということで」
 差し出していた手をバイバイと振る。零も肩口まで手を挙げ、小さく振った。そのまま船のほうに歩いていく。
 乗船口に並び、切符が切られるのを待つ。
 そこに。
「蒼凪さん!」
 呼ばれて振り返った。背が高く、細面の青年が息を切らせて走ってくる。
「受験でしょ? これ……お土産!」
 彼は零まであと少しというところまで来ると、何かを投げて寄越した。反射的に受け取って見ると、それは小さな木箱だった。
「中身、見て!」
 肩で荒い息をしながら青年が言う。零は言われるままに紐を解き、蓋を開けた。東洋の薬のような香りが鼻腔をくすぐる。
「これ――」
 中の物を指先でつまんで取り出す。それは小振りの黄色い包みだった。お土産ではない。お守りだ。
「合格祈願とかいうのに適した布で作った、匂い袋だけど……よかったら、どうぞ♪」
「ありがとう……ありがとうございます! 絶対合格してきます!」
 ありったけの大声を出し、零は深々と頭を下げた。
 顔を上げると、青年の姿が見えない。滲んだ視界にぼんやりと金の髪と白いシャツが映るばかりだ。
「お客さん」
 船員が手を差し出してきた。零は涙を拭って切符を渡す。
「良いお友達をお持ちですね」
 切符とともに返ってきた言葉に、零は深く頷いた。胸に小さな包みを抱き締めて。

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