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父と子の往復書簡・54日目

時計 2008/09/12

 遺跡の中には森があった。
 山があった。
 川もあったし、砂漠もあった。
 回廊が途切れたと思えば、人工物とは思えない大自然が広がっている。
 地下であるはずなのに空は明るく、外界であるかと見紛う。
 人々のおおよそが思い浮かべる遺跡の常識を覆す。
 この遺跡はあまりにも常軌を逸していた。

 だけど、この光景はさらに予想の斜め上をいっていた。

 山岳の頂上、おそらく噴火の跡であろう窪み。
 窪みの平らになったところに男が三人座っていた。
 手近な火山岩の上に腰をかけ、円座になっている。
 そしてその内一人の背後には何故か“黒板”があった。
 小中高校大学専門英語塾。学校と呼ばれるものには大抵置いてある、あの緑色の黒板である。
 その黒板には白墨でこう書いてあった。

『第29回 イディア様親衛隊定例会議』

 男達は三人とも、頭に紙袋をかぶっていた。
続き

「というわけで、定例会を始める」
 グレースーツを着た男が厳めしく開始を告げる。膝に肘をつき、組んだ手の上に顎を載せているのだが、高さが合わなくて随分と前のめりな姿勢になっている。決して楽な姿勢には見えない。
「一号せんせー、今日の議題はなんですかー。てゆーか29回もやってません」
 黒い学ランを着たもう一人が手を上げて尋ねた。
「それはいい質問だ、二号君」
 一号と呼ばれたスーツ紙袋はゆっくりと立ち上がり、二号と呼んだ学ラン紙袋に近付いていく。
「まず、29というのは気分の問題。決して行き遅れに怯えるOLの年齢ではない。そして今日の議題は――」一号はおもむろに二号の紙袋をむんずと掴んだ。「――貴様の処遇についてだ! 親衛隊会員ナンバー2こと菅原命!」
 再生紙100%の紙袋の下から、黒髪黒目の少年の顔が現れる。少年は突然のことに目を丸くしている。
「ぼ、僕ですか!!?」
「ああそうだ。最近の貴様は非常にたるんでおる。大事な一戦に紙袋を忘れるわ、知らない人のフリはするわ、我々に暴言を吐くわ」
「俺も紙袋なかったらやってる」
「そもそもこの紙袋は隠密活動のための大切な道具なのだ。それを蔑ろにするとは何たる不始末!」
「正体隠れても悪目立ちするのはどうかと」
「イディア様親衛隊としての自覚が足りん! そんな奴に神聖な紙袋はもったいない!」
「百均で買った紙袋じゃん」
「三号、うるさいっ!」
 スーツ紙袋は横から茶々を入れる三人目に向かって吠えた。三人目は肩を竦めると知らぬふりを決め込んでそっぽを向く。
「とにかく! 貴様は親衛隊会員ナンバー2からバイトに格下げ! 紙袋も没収する!」
 人を指差してはいけませんというお母さんの言いつけなんて思いっきり無視。ツボも抜く勢いで、菅原の額に人差し指を突きつける。
「え? いいの?」
「嬉しそうだな」
「いや、そんなことないですよ。えー、紙袋被っちゃダメなんだー」
 菅原の言葉はどう聞いても棒読みである。そもそも、紙袋を被って喜ぶ変態など目の前のスーツくらいしかいないのだ。
「貴様には代わりにこれを支給する」
 スーツ紙袋が菅原に白い物を投げて寄越した。広げてみるとそれは、この島のコンビニのビニール袋だった。もちろん燃やしても有毒ガスを発生させない、環境に優しい素材である。
「半人前の貴様にはこの半透過の袋こそ相応しい!」
「えー。こんなの被ったら鼻と口に張り付いて息できなくなっちゃいますよ」
「エラで呼吸すればよろしい」
「ないです」
「貴様もインスマスに行って眷属になればいいのだ! ええい、いいから被れ!」
 問答無用で菅原の頭に被せてくる。薄っすらと見える素顔、持ち手の部分は両肩に下がり、だらしなく見える。
「やだなぁ。こんなところゼロさんに見られたらますます話しづらくなる」
 菅原は仲間の少女のことを思い出してぼやく。おさまりが悪いのか、ビニール袋の前後を返したり、持ち手の部分を胸の前に持ってきたりと頭の上で回している。
「安心したまえ。零嬢はもとより貴様なぞ相手にしておらん。気を引こうとか無理無理無理超無理。サエたんがムチムチナイスバディに成長する将来より無理」
 どこぞの槌少女が聞いていたら半殺し確定の言動であるが、肝心の本人はここにいない。
 スーツ紙袋はここぞとばかりに「サエたんはあのフラッティーさが魅力なのだ」などと言ってはにやけている。
 その姿をじっとりとした目で見ていた菅原はおもむろに口を開いた。これまで胸に抱いていた疑惑をぶつける。
「……一号ってもしかして壱哉さんだったりしません?」
 その名を聞いた途端、一号の目がクワッと見開いた――ように思えた。現実には目は紙袋の奥なので、本当のところはわからない。
「オレ様をあんなヘタレもやしと一緒にするな! 見よ、この鍛え上げられた肉体をッ!!」
「ぬ、脱ぐなッ! こんなところで脱ぐ……」
 ビニール袋を被ったままの菅原の顔が固まる。それまで無言で二人を見守っていた三号も動きが止まる。
 それを見て胸元をはだけた一号も止まる。
「どうした、お前等」
「う、うし」
「牛? この島にマンモスはいるが、まんま牛はいないぞ」
 スーツ紙袋の言葉に、菅原が頭を振る。
「後ろ――!」
「あなた方は本当に懲りませんわね」
 幾夜の夜の夢に出てきたであろう、恋焦がれた麗しい声。それは時に優しく、時に甘い。だが今日のそれが含むのは、溢れ出るほどに激しい感情。
 スーツ紙袋はゆっくりと後ろを向いた。
 そこにいたのは流麗な金の髪に白い肌のドレスの女性。紙袋三人衆が恋焦がれるかの君。
「い、イディア様!」
 いつになく視線が鋭いのは気のせいだと思いたい。白磁の額に青筋が浮いているのも気のせいだと思いたい。
「今日も平原のようにおうつくし――」

 どっかーん。


 その頃。
「菅原さんたち、どこ行っちゃったんだろう……」
 零は山の裾野で一人、途方に暮れていた。