Day2 /Killy
- 2011/10/08 00:00
- Category: 日記ログ::キリイ
その女はかつて名を持たなかった。
名を持たぬ人間なぞいるかと言うと、人間じゃないから、と答えた。
では今名乗った名はなんなのだと聞くと、奪った物だと答えた。
人の名を、地位を、名誉を、家族を、生活を、全て奪い、己の物にしたのだと。
女は眼鏡の鼻当て部分を持ち上げながらそう言った。
その名は東洋人のようであったが、容姿は明らかに東洋人ではなかった。
この世界では偽名など珍しくもない。
本当の名を教えてくれないかと冗談半分に言うと、ひとつ前の名前なら、と教えてくれた。
白い指が髪の切れ端に書いたのは、知らない文字だった。呪文のような文字は、見ているだけで胸をかき乱される。禍々しい字面は不安を呼び起こし、発音まで聞く気にはなれなかった。
これは人が口にしてはいけないものよ。
女は無邪気にそう言った。
聞いた人間からは何かを奪わねばならない。それがルールだ、とも言った。
顔は笑っていたが、目は笑っていなかった。開き切った瞳孔の向こうに、深淵なる闇が見えた。
聞いてしまったことを後悔したが、遅かった。
女の手がこちらの顔に伸びる。殺される、と本能が頭蓋の中に警鐘を響かせる。
だけど今は特に欲しい物もないから見逃してあげる。
明るく言った女の指が目の前から逸れ、揺れる扉から出て行った。
それ以降、女の姿を見ることはなかった。