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父と子の往復書簡・40日目

時計 2008/05/23

 ――島ではない何処か。

「うーん……」
 鍋に味噌を溶きつつ壱哉は喉の奥で唸る。
「うーん……」
 煮立った葱が鍋の中で踊る。味噌を溶いた湯が泡立つ直前に火を止め、掌の上で賽の目に切った豆腐を入れる。
「それ逆。味噌を入れる前に豆腐でしょ」
 十和子は丸めた雑誌で軽く従弟の頭を叩く。
「あ、しまった」
 壱哉は我に返り、再びガスコンロに火を点けたがもう遅い。味噌汁はすでに煮立っているから、これ以上火を入れるとうまくない。慌ててまた火を止める。どうにも落ち着きがない。
「ごめん、豆腐冷たいかも」
「まったく、あんたらしくないわね。どうしたの?」
 十和子に呆れられ、壱哉は頭をかきつつ小さく言った。
「零が、ね」
「零がどうしたのよ」
「闇が濃すぎるな、と」
 それだけ言って壱哉は黙る。十和子も何も言わずに佇む。台所に沈黙が降りる。二人の脳裏に浮かぶのは、幼い子どもの身体に残った禍々しい印。思い出すだけでも鳥肌が立つ。考えただけで、内に沈めているはずの精霊が活性化する。壱哉の周囲の温度が下がり、十和子の背後から微かな風が吹く。
 口で何と言おうとも、頭では平静を保とうとしても、精霊使いの本能は常に警鐘を鳴らしている。其れが在る限り、安寧は訪れない、と。
 静寂を破ったのは十和子だ。
「仕方ないでしょう。あの子のアレはどうしたって消せなかったんだから」
 あえて明るい声で、また壱哉の頭を叩いた。
「医学的にも呪術的にもアレは無害だって保障されている。なのに、あの子が術を使えるようにしたのは何のため。普通の子だったら必要ないこと、どうして教えたりしたの」
「でも、多分僕が教えたことだけじゃ足りないよ。それに今のあの子には守護も何も憑けていない」
 主の懸念に反応し、うっすらと精霊が姿を現す。母体の守護を担う、少女の姿の使役存在は壱哉の肩を両腕で包んだ。
「出てる」
 十和子に指摘されて顔上げると、表情のない顔が壱哉を見ていた。姿が透けているので天井が見える。主の不安を映しているのか、わずかに曇っているようだ。
「こんな簡単に出してどうすんの。父親のあんたがしっかりしないとダメでしょ」
「ごめん」
 水を起源とする精霊は、壱哉の肩の上で揺らめいている。しばらく色のない顔を見つめていたが、気を取り直し、
「ついでに豆腐に火を通そう。豆腐の水分だけ温めれば味噌汁煮立たないよね」
 精霊の力を味噌汁へと注ぐ。神秘的な淡い青光が雪平鍋を包み込む。
「……使い方間違ってる」
 差し出された味見の小皿を受け取りつつ、十和子は低く呟いた。

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