DayXX /Jack
- 2012/06/01 00:00
- Category: 日記ログ::ジャック
それは失われた記憶。遠いようで近い出来事。
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男は全てを失った。
全てを奪われ、その身体以外の何もかもが消え去った。
本当の絶望の中に在れば涙さえも失うことを知った。
そんな男の姿を見て、略奪者はせせら笑う。
新月の夜、女王不在の闇の空を背負い、かつて男の目に宿っていた光が男自身を見下ろす。
地に這いつくばる無様な姿がアメジストの瞳に映り込んでいた。
冷やかな色をしている。そんな目で人を見たことなどなかった。
嫌でも認めざるを得ない。かつて己の物だった双眸はもはや人の物だ。
静かな夜だ。
暗闇は惨劇を覆い隠す優しさと、救いの手を見失わせる残酷さを持ち合わせる。
慟哭は柔らかな闇に飲み込まれ、祈りは風がさらっていく。
何故殺さなかった、と男が問うと、死は救済であり解放である、と相手が答えた。
そう簡単に楽になってもらってはつまらない、と一際甲高い声で笑う。
全てを失った貴方に。
そいつはそう言った。
全てを失った貴方に、たった一つだけ贈り物をしましょう。
そして細い指が伸びてきて。
そこで記憶が途絶えている。
その男は名を持たなかった。
名前のない人間などいないだろうと言うと、奪われてしまってない、と答えた。
名前がないのは不便だろうと問うと、ならばお前がつけてくれ、と答えた。
大切にしていた名前を失って初めて、それがただの識別記号に過ぎなかったと気付かされた。
男は痩せた首を擦りながらそう言った。
名無しのジャック。
掃き溜めの世界には名無しのモノなんていくらでもいる。
せめてお前だと識別できるような物はないか。
そう問うと、これならばどうだろう、と男はボロボロのシャツをまくり上げた。
そこには引っ掻いたような傷跡が二本並んでいた。
消えない傷だと言った。どんな医療もどんな魔法もこの傷だけは消せなかった。
イレブン。
問答を見ていた客の誰かが言った。たしかに数字の十一に似ている。
男はそれを聞くと口の端を歪めて笑い、何も言わず店の外へ出て行った。
それ以降、男の姿を見ることはなかった。